若い世代で、配偶者である夫・妻を亡くした人達、恋人を亡くした人達、それぞれの哀しみや心の動きを少しでも共有し、過酷な辛さを少しでも和らげることができれば。

若い世代で夫を亡くして、妻を亡くして、恋人を亡くしてという経験は、激烈な苦しみであり、その後も様々苦しむことが多い。けれども、周囲に同じ経験をした者がほとんどいないため、うまくサポートされず、またむしろサポートが重荷になることもある。「そろそろ前を向いて」という周囲や一般の価値観がプレッシャーとなってもがき苦しむ人も多い。自分自身でプレッシャーをかけてしまう例も多い。後悔で自分を責めることも多い。

 

真面目な人ほど、よし前を向かなきゃと頭で思い、でも心がついていかず、心や体に変調をきたしてしまう。

親にも親友にもわかってもらえなかったりすることも多く、または心配されているから話づらく元気なふりをしたりしてしまうことも多い。どんなに恵まれた環境でサポートを受けていても、どうしても理解できない部分が残ったりする。そのため、同じ経験をした人たちの言葉や経験談はとても大事なのだろうと思う。

 

このページの設営者である私も、若くして妻を亡くし、周囲の人たちだけでなく、インターネットを通じた人達からも支えられた事から、少しでも、今苦しんでいる人達、そして、少し未来を歩き始めることができた人達、それを支えたり、愛したりする人達の癒しやヒントになればと、遅い歩みだけれどサイトを少しずつ作っている。また、個人的経験だけでなく、多くの同じ経験をした人たちとも語らい、メールでやりとりをしたところからも考えや経験談を書いているところがこのホームページの特色かもしれない。

 

冒頭で言っておきたいけれど、「前向き」という中身の空虚な価値観には、どうか縛られないでほしい。それは、支える側にも言っておきたい。絶望の淵にいる人の前向きは、時に立ち止まることだったり、時に休むことだったり、時に絶望を吐露することだったり、闇を嘆くことだったりするから。

空虚な意味のない「前向き」が心を抑えこむように作用することはとても多い。結局、それは何より後ろ向きの結果を生む。闇も痛みも解放させて、癒して、初めて少しずつ歩めるのだから。満身創痍、骨折、内臓破裂、そういう人間を無理に外に連れ出して運動させないのと同じ。悲しむべき時に押さえ込んだ心が時間を経て吹き出した時、それは収拾がつかなかったり、病になったりと、様々な深刻な影響が後に出る。または、とても時間がかかる。

「自分の経験談」

まずは、自分の死別の心の移り変わりを参考までに。引きずり込まれて辛くなる人は読み飛ばしてください。

 

自分は妻を亡くした。突然の出来事であった。急に発症し、

一気に死へ向かう病気であったため、お別れの言葉も交わしていない。

 

1日前まで幸せに、にこやかに笑っていた彼女がモノも言わず手術台に横たわっている

姿を見た衝撃は言葉では表せない。あんな辛い厳しい事が世の中に存在するのかと

今でも思う。

 

 ①直後の頃

亡くして、しばらくは、自分が生きているのか何なのか、いつも悪いひどい

夢を見ているようだった。眠っている時がいちばん楽で、朝、目を開けたとたんに、

心が疼き、眠りの世界で生きていたかった。

起きた瞬間のあのひとのいない現実がすごく嫌だった。

仕事に無理矢理行きながら、ただ、それはそれで、過度に向き合うことが避けられたため、

私には良かった。その分、仕事のストレスは強く、帰ればぐったりと眠りについた。

眠りの世界で生きていたかった自分には好都合ではあった。

それでも、朝・夜・休日ともがき苦しむ日々であった。

四九日あたりまでは行事に必死で、悲しむ時間も無いくらいであったが、

その後、半年くらいまでは、心が引きちぎられるような毎日だった。

人生はこんなにも辛いのか、生きていくのはこんなにも辛いのかという毎日だった。

こんな辛さは想像の遥か上を行っていた。

今では、自分の防御本能なのか痛みの日々をあまり覚えていない、どうやって、あの激烈な日々を過ごしたのか、記憶にないくらい。

 

その頃、自分にとって良かったのはネットで毎晩のように悲しみや苦しみを吐き出していたことだった。

そこで手を差し伸べてくれる人たちがいた。そして、同じ経験をした人と知り合い、

ネット上だけでも、現実の世界でも、いろいろ話を聞かせてもらえた。包んでくれた。

先に経験した人が、どういう時に何を感じ、何を克服し、何を克服できないか、

そして苦しみの多様性を予め知っておくことは有意義だった。

 

また、自分の家族のフルサポートのような、でも何も言わずに、見守ってくれる気持ちはとてもありがたかった。

この時期、親でも同じ経験をしていないためか、前を向けというようなことを叱咤する人たちは多い。

子供にその先、少しでも明るい未来をと思うのであれば、それは逆効果である。指導して、叱咤して、よし

じゃあ前を向けるという性質のものではない。信じて見守るしかない。

若い人であれば、この壮絶な経験について、安らげる場所は通常は無い。しばらくすると誰にも話ができなくなるから。そういう時に、穏やかに受け止めてあげる家族があれば、それこそがいつか明るい未来をもたらす。

家族としては、心が安らげる場所を作ることに努めて欲しい。家族が逆に重石を与えてる例はあまりにも多い。

それで回復を遅らせてたり、苦しませてたりする例はあまりにも多い。

 

精神科やカウンセラーでは、若年層での伴侶死別の経験もなく、

凄まじい想いをうまく扱える人は私にはいなかった。

何人かの人に聞くと、合う人合わない人がいるようだ。

傷つけられた例も、救われた例も両方聞く。

これも出会いかもしれない。合わない時は、投げ出していいのかも

しれない、投薬が必要なうつ状態になっているような場合を除き。

自分は、深刻な心の辛さではあったけれど、病気でもなかったし。

最初は、ネットとその手の本が頼りだった。

死別に関する本やグリーフケア系の本は玉石混淆だけれど、参考に

なったりする本、支えになる本も多い。何にせよ、周囲の人生の先輩でも

この経験をしていない人がほとんどなので、先輩の言葉もあてにならなかったから、

若い伴侶との死別を経験した人との交流や、研究した人の本のほうが役にたったと思う。

 

 

②直後から一年くらい

直後1年くらいの自分のキーワードは「漂うように、ただ生きて、

心を休めていよう」という事だった。誰がなんと言おうと、前向きとか言われても、気持ちだけ

受け取って、寝て、休むことが大事だと思っていた。

ちなみに、自分はとても精神力が強いほうだと自信があったのだが、

それでもこんな状況になるのなら、絶対に安静に休めたほうがいいと

思っていた。心の内側から自分が爆発するように壊れる恐怖感もあったし。

体が重傷な時に絶対安静にするのだから、心が重傷な時も

同じにしようと思っていた。

 

ちなみに、多くの人にとって、この時期が振り返ると最も厳しく辛い時期であることが

多い。直後は慌ただしいのと同時に、麻痺していたり、この世に生きていないような

ふわふわしてる感覚で、リアルに感じなかったりもするからかもしれない。

しかし、この時期あたりから、真剣に不在や自分のこれからをリアルに感じるから

かもしれない。厳しい毎日だった。

 

1年経過した時、振り返ると何かが変わったことに気づいた。痛みがなくなったといったところだと

思う。朝起きるとキリっと胃が痛むような事や、涙が暴発したり

という事が少なくなった。それでも、哀しさは消えないし、

まだまだ辛い時期であった。休みの日に何かをしようなんて思えなかった。

テレビで、伴侶死別も平均一年で複雑さから脱するという精神科医が

いたけれど、何を知っているのだろう。医療と心の区別をして欲しいなと切に思う。

私の知っている範囲では一年では、闇の真っ只中というケースがほとんどだ。

 

③一年から三年くらい

何よりもこの時期不安だったのは、自分がいつか壊れるのではないかと

いうところだった。

その不安がなくなるのは3年以上経過したときだった。

心の病気や体が壊れることは、死別を直接の原因としては

ないなという確信が何となく出て来た頃だった。

 

周囲のサポートもあり、私は順調に回復したほうだと思う。

それでも年単位で徐々に少し変化していることが振り返れば

わかるといった程度の歩みだった。

薄皮をはがすように少しずつ、変化していった。振り返ればわかるけれど。

 

自分の経験談として、年数を敢えて記載しているが、回復にかかる

年数や状態は人それぞれなので、あくまで参考例として。

 

数年経過したが、哀しみはいつも抱えている。無邪気な

過去へは戻れないだろうと今は思う。

でも、それこそが人生かなとも思う。今の時代の日本に

産まれているから、自分が最大の不幸を抱えているようにも

思ってしまうが、日本ですら戦時中の伴侶死別なんて珍しくも

何ともなかったのだし。

 

私は、それでも楽しく生きたいと思う。

空の上から、心配した顔で覗き込まれたくない。

彼女もひとりにして申しわけないと思ってるだろうし。

 

そんな心境になれないという人は、それでいい。

今のままの心でいてもらっていい。

そういう心境になる人もいるんだと思ってもらえればいい。