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市川海老蔵

ここ数日、朝から晩まで彼と奥様の話でテレビ・ネットと持ちきりである。

ブログを拝見すると、悲しみを吐き出していて、すごく逆説的な言い方だけれど、私はその点では安心している。

応援する側は頑張れとつい言ってしまい、苦しい方へ追いこんで行きがちだし、彼に対しては日本全国から

言われてしまう。

心がボロボロで立ち上がれないのに。

彼の素直なところが今は私には安心材料だ。素直に悲しみもある程度表現してる。

今は前を向かなくていい。泣いていていい。

 

でも、とても気になる。この世の中の騒ぎ方と心配の仕方。どこか「世界の中心で愛を叫ぶ」のような映画を見ているように見られていないか。

愛と感動の物語として消費していないか。

それがとても気になる。私の妻は突然亡くなったので、闘病のことについては私は語れないが、彼にとってここからも闇である。そして出口は見えない。

いくら舞台に上がって大活躍しても。心は年単位で闇や苦しみや悲しみが渦巻く。

世間が、気丈に乗り越えて生きるストーリーを世の中が求め始めた時にとても怖い。まだ数日であるが、その萌芽もちらほらある。

一般人がどの時点で飽きるか、そして嘆いてる海老蔵にも飽きるかが怖い。いや、飽きるだけならあまり問題はないけれど。

え、まだ泣いてんの、まだ麻央とか言ってんのとか、そういうことを言い出す人が出てくるのが怖い。

そして、彼が思い出話も何もできなくなり、ましてや辛さを言えないことになるのが、一般人以上に怖い。

海老蔵という立場で見せられないものもたくさんある。成田屋は孤高のポジションであろうし。

でも、本名では気がすむまで泣いて悲しんでいてほしい。

その時間を勝手に世間が決めないでほしいと祈るばかりだ。年単位ということは世間がわかってくれたらなあ。

10年だって珍しくもなんともないということをわかってくれたらなあ。