死別直後、友人との交流がとても苦痛になる人は多い。険悪になる人も多い。
傷つく言葉を言われて、苦しむ人も多い。
友人関係が壊れた例はたくさんある。
一方、友人の真価がわかって付き合いをやめる例もたくさんある。ただ、付き合う必要が本来なかった友人を選別できて、それはそれで人生にとって良かったとも言えるだろう。
苦しみのギャップがどうしてもある。
この壮絶な苦しみは、どうしても想像を超えたところにある。
しかし、どうしても幾らかの友人は自らの知識などに当てはめて理解し、人によっては
語り出す。最悪は道を説き、説教する自己満足の人もいる。
そういう言葉に傷つく例は後を絶たない。
どうしたって、この若年伴侶死別の苦しみや影響はほとんど世間には理解されていないので。
友人は友情で何とかしようとする。
友情で言葉をかけようとする。
でも、その友人が死別経験がなければ傷つけてしまうことはとても多い。
こちら側も、気が立っているし、そもそも人を包容する余裕はないであろう。
直後でなくても、心の傷に無闇に触れられると痛みが走るだろう。
結局、その両者のズレが、友人関係の崩壊や、一人でいたいという思考になっていく。
死別者も少し視点を考えなきゃいけないのかもしれない。
壁で閉ざして、むき出しの傷を守る時間というのも必要ではある。
気がすむまでそうしていていいのではと思う。
でも、どこかで壁を少しずつ開く作業をするのも、風通しが良くなって
傷が治りやすくなることも多い。バランスなのかもしれない。
視点としては、周囲には完全に理解できる人はほぼいないという積極的諦めが
まず必要かもしれない。理解してもらえない苦しみを裏返すと、どうして理解してくれないのという
嘆きが根本にあったりする。土台理解できないのだというある種の諦めから行けるなら、少しだけ友人の
間違いや行き過ぎを余裕を持って流すことができたりする。
それ以上に、そもそも自分はおかしい状態で、普通でないのだから、理解しようがないだろうという
認識も大事なのかもしれない。