先日の、押さえ込むというのと似てるのだけれど、直後から数年は、とにかく
傷口を癒すというのは大事な作業になっているようだ。
闇雲に立ち上がって、元気なフリをしたり、再婚したり、
新たな事業に進んだりと、自分の悲しむ心を押さえ込んで
いい結果が生じた例は聞かない。むしろ、多くのお話を聞くと
逆だろうなと感じている。
だからこそ、自分を守るために、少し殻にこもるようなイメージは
とても大事なのだろう。もちろん社会人であれば、生活上は
不可能なので、心だけでも。
ただ一方で殻にこもり続けている人もまた、不動の石のように、
心が何も変化していかない。ずっと苦しんでいる人も多い。
十年、二十年と。
何かの刺激が必要なのかなと、一定状態を過ぎた心は何かの刺激が
必要なのかなと、思う。
それが一般に言う向き合うということなのかもしれない。
当初はどうしても、あの大事な人が亡くなったことを考えるのは
辛い人がいる。仏壇とか、お墓とか、そういうものとは
関係のないようにしたい人もいる。それはそれで、殻にこもる
イメージとして大事な時間だろう。気がすむまでやるべきだろう。
年単位でも構わないと思う。
でも、少しずつ、少しだけ痛みが和らぐ時間があったら、
ぼーっとでもいいので亡くなったこと、相手の無念、
相手の今の気持ち、自分と相手、これからどうして欲しいと思うだろう。
そういったことを考えられると、変化は訪れやすいなと
思うことが多い。またまた答えではないけれど。