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お盆

お盆になると、伴侶死別した者は、家族だけでなく義理の家族と接することになりやすい。そこで、また気持ちの落ち込みだけでなく、摩擦が生じることもかなり多い。義理の家族との何か歯車が合わない感じは、よく相談を受けるし。自分も結局うまくいかず、関係を絶っている。

どうしても、義理の家族は元々他人ということもあったり、伴侶を通じての結びつきであったりするから。

根本で、悲しみの種類が違ったりする。大事な人を亡くしたのは変わらないが。未来の、そしてこれからの、人生全てを共にしようと思っている我々と、自立するまでの大事な時間を過ごしてきた家族とでは、どちらが悲しいという以前に種類が違うように感じる。

自分は色々あって関係を絶ったことは、自分にとっても、おそらく義理家族にとっても良かったことだろうと思う。あくまでも自分の場合は。

大事なお盆や命日などの度に供養よりも、そのズレを確認する作業が優先するのは、私自身は変なことだなと思うし。あまりにうまくいってなければ、何を言われるだろうと気が気でなかったり、何か言われて傷ついて帰ってきたりする人も多いし。

供養は供養として、未来を歩きたいと思っている人は、義理家族に縛り付けられてるように感じたりもする。いつまで、お盆を一緒にやるのだろうと。子供がいる人は、血のつながりがあるから、子供は会わせてあげたい気持ちはあったりするだろうけれど、本人はあまり気が進まなかったりと。

 

そういう様々な感慨を、このお盆に抱いている人は多いだろうな。